人に助けを求めるのは、弱いことじゃない

今から15年以上も前、私が30代前半だったときのこと。

東京で一人暮らし、広告代理店に勤めるコピーライター…とかつて夢見ていたことを実現して充実していたはずの私は、ある出来事をきっかけに、自分で自分の腕を傷つける「アームカット」をやめられなくなりました。

平気なふりをして会社に行ってはいたし、同僚や友達にも何でもないふうに振る舞っていましたが、心の中はぐちゃぐちゃ。

今思えば、平気な「ふり」をしている私に気づいた何人かが、救いの手を差し伸べようとして食事に誘ってくれたことがあるのですが、私は食事の場でも特に悩み相談などすることはなく、自分にはつらいことなど何も起こっていないというふうに笑顔を振り撒き続けていました。

最終的に、一人になると仕事中でも涙が出てきてしまったり、会議のときにどんなに集中しようとしても人の話が全く入ってこなくなったり、業務に支障が出てきたことを自覚した私は意を決して心療内科に駆けみました。

振り返ると、心療内科に駆け込んだことは、おそらく私が人生で初めて、自らの意志で人にSOSを出せた出来事でした。

もちろん、当時はそこまで分析できてはいませんでしたが、それまでの私は「人に相談しなければならないほど自分は弱っていない」「私は自力でなんとかできる」とずっと思っていて、自ら人に助けを求めることができなかったのです。

心療内科はカウンセリングとは違うことは重々承知でしたが、私は先生の前で話をしながらボロボロと泣きました。

その時は、うつ病ではないけれど抑うつ状態にあるとは言える、という診断で、抗うつ薬などの薬を飲むか、カウンセリングを受けるか、の二択を提示されました。

カウンセリングを受ける場合は、先生の紹介してくれるカウンセラーさんと別途面談をする必要がありましたが、当初、薬を飲むことに抵抗があった私はカウンセリングを選んで、カウンセラーさんと会うことにしました。

面談の場で、カウンセラーさんに何を聞かれて、何を話したのか、詳しくは覚えていません。

ただ、彼女に言われたことはとても覚えています。

「カウンセリングは、あなたが話をしてくれないと、始まらないんです。もし、話ができないなら、私にできることはありません」

そう。

私は、カウンセラーさんに心を開いて話すことがとてもじゃないけどできなかったんですね。

というのも、そのカウセラーさんは私と同じくらいの年齢の女性だったから。

同世代の同性に自分の情けない現状をさらけだすことが当時の私にはできなかったんです。

これまた、その当時はそんな分析はできていないので、「カウンセラーのくせに全然話しやすい雰囲気じゃない彼女に問題がある」と思っていたのですが。

結局、心療内科に逆戻りした私に、先生は言いました。

「あなたは、今、マイナスに傾きすぎてしまったんだと思うの。一度マイナスになると自力でプラスに持っていくのは難しいから、まずはゼロに戻すためにお薬を飲むというふうに考えればいいんじゃないかしら。自分で頑張るのはゼロに戻ってからでいいんじゃないかしら」

自分が薬に頼らないといけないほどになってしまった、そのことに落胆するかと思いきや、私はむしろホッとしていました。

何にホッとしたって、「自分で頑張ってなんとかできる領域は超えている=自分で頑張らなくていい」と認めてもらえたことに、です。

実際、処方された抗うつ剤と抗不安剤は私にはとてもよく効いて、精神の不安定さはわかりやすく改善して、そこを足がかりに人生が大きくシフトして今があります。

あの頃の私は、人に頼るのは弱いことだと思っていました。そして自分はそんな弱くないと思っていたかったから、人に頼れなかったんです。

でも、今はわかります。人に頼るのって、強くないとできないって。

人に頼るのって、自分の弱みや痛みに向き合わないとできないんです。

そして、自分の弱みや痛みと向き合うって、強くないとできないんです。

もし、かつての私のように「自分が弱いと思いたくない」という理由で、人にSOSを出すことができない人がいるなら、SOSを出すのは強いことなんですよ、とお伝えしたくてこれを書きました。

家族や友人といった身近な人にSOSを出せるならそれもいいと思いますが、カウンセラーやセラピスト、ヒーラーといった専門家を頼るのもいいと思います。

SOSを出す、そのこと自体も強くないとできないのですが、人からの助けを受け入れたとき、また一段と本来の自分に近づいて、仮ものではない本当の強さを取り戻していくのだとも思います。

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