亡くなった大切な人に手紙を書く

先日、亡くなった夫に手紙を書いてみました。

亡くなった直後はよくやっていたのですが、最近はご無沙汰でした。

心の中でほぼ毎日会話しているから、それで十分だと思っていたんです。

ところが、心の中で話すのと、実際に神経や筋肉を使って手紙に書き起こすのとでは、脳(厳密には体全体のシステム)の動きが違うんですよね。

脳の働きが違えば、出てくるアウトプットもまた変わってくる…つまり、心の中で話しかけるのと、手紙に書いて話しかけるのでは、私から出てくる内容が変わる可能性が高いんです。

そのことを最近、ようやく理解できたので、久しぶりに手紙を書きたくなったのでした。

今回、私はちょっと迷っていることがあったので、自分にとってのメンターのような存在だった亡夫に今の自分の状況、心境を相談するような心持ちで筆を進めていきました。

まずはそれだけでも「なるほど、私の迷っていたポイントは具体的にはここだったか」というように心の整理ができたのですが、そのうち、「亡夫だったらきっとこう言っている」と感じる言葉が次から次に出てくるようになったので、それも書き留めました。

結果、手紙を書くつもりが、筆談による対話のようになったのですが、おかげで、心の中でいつもしている対話ではまず出てこなかったような深い話ができたし、迷いごとに対していかにも亡夫らしい的確なアドバイスをもらえてスッキリしました。

まるで本当に生前の夫と話したかのようなリアルな感覚があって、彼と自分は今もつながっているという実感を持つこともできました。

それで、私は、皆さんにお伝えしたくなったんです。

亡くなった人に手紙を書くことを、折に触れてやってみるといいかもしれない、と。

もともと、故人に宛てて手紙を書くことは、グリーフ(喪失)ケアの一つとしてよく知られています。

心の中で話すだけで終わらせず、ちゃんと手紙に書くんです。

私は普通のノートでやりましたが、故人に送るつもりで便箋にしたためるのもいいかもしれません。

まずは自分の思いを手紙で伝えることができたら、それだけでグリーフケアになります。

今回の私のように必ず対話になるとは限りませんが、もし相手からの言葉が聞こえてくるように感じられたら、それについてジャッジすることなく、感じる言葉をそのまま書き起こすことをおすすめします。

ここで大切なのは、ジャッジしないこと。

というのも、聞こえてきた声が、本当に故人からのものか、ただ自分がそう思いたいだけかは、どちらでも構わないから。

ポイントは、あなたの潜在意識の深いところで出てきた、あるいは拾ってきた言葉であるというところなんですね。

ヨガのベースとなる考えにワンネス(全ては一つ)というがあるのですが、自分の意識の深いところ、潜在意識の部分では全部がつながっていると考えると、これはあの人、これは私、という境目はないと言えるんです。

だから、故人からの声だとあなたが思うなら、それが真実ですし、自分が思いたいだけだとあなたが思うなら、それが真実。

どっちも真実。

そして、私は、何が真実かということより、その言葉を受け取って書き起こしたとき、自分の気分(状態)がどう変わったか(今ここ)の方が重要だと考えています。

とりわけ故人と手紙でやりとりしたときは、ほとんどの場合、最初は寂しく、つらく、ひとりぼっちになった気分から始まり、手紙を書き終える頃には、心温まったり、勇気づけられたり、今の自分でいいんだって安心できたり、という気分に変わっていると思うんです。

安心できるような、ちょっと力をもらえるような、その気分こそ、スピリット・マインド・ボディーが今調和の状態にあるよ、というサインなんですね。

そして、その状態にあるのが、本来のあなた、なんです。

だから、故人に手紙を書くことは、亡くなった、大好きだった人との会話を通して、自分を取り戻す手段でもあると私は考えています。

手段なんていうとちょっと味気ないですが、でも、その手段を私に残してくれた、ということにも、私は亡夫の愛を、さらにはもっと大きな宇宙の愛を感じずにいられません。

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