今から11年前の、夏の終わりのこと。
その2月に前夫を病気で看取って、一人残された私は、生きる希望を見失い、力なく海にぷかぷかと浮かんでいました。
死にたいとは思っていなかったけれど、生きることが楽しいとは思えませんでした。何もやりたいことはなく、日々、呼吸するので精一杯。
唯一、気分が紛れることといえば、生前の夫と一緒にやっていたサーフィンだったので、その日も海にいたのでした。
当時の私はサーフィンを始めてまだ2年目。自分にはちょっと大きな波の日でしたが、やや自暴自棄になっていた私は、死んだら死んだでいいや、と思っていました(実際には死ぬほど大きな波ではなかったのですが)。
何本目の波だったでしょうか? タイミングを見誤ってテイクオフに失敗し、グルングルンと激しく波に巻かれました。
そもそも心身が弱っていた上に、長いこと海面に浮上できなかったので、意識が遠のきそうになりました。
なんとか海面に顔を出すことができた私は、手繰り寄せたサーフボードにまたがって、ひとしきり泣きました。
なんで泣いたか、わかりません。
ただ、サーフィンさえまともにできないことが悲しかった。
そして、サーフィンができなくなったら、もう本当に生きている楽しみがない、と思いました。
でも、その瞬間、もう一人の私がこう囁いたのです。
ん? 何も楽しみがない、生きている意味がない、なんて言ってたけど、サーフィンはしたいんだ?
だいたい、あのまま巻かれて意識を失って死んでもよかったのに、私は咄嗟にもがいて這い上がってこようとした、その矛盾にも気づいて、今度はちょっと笑ってしまいました。
死んでもいいなんて言っているくせに、私の体は、本能は、必死に生きようとしている…。
そこに思い至ったとき、お腹にちょっと力がみなぎって、「生きる意味などわからなくていい、体が生きたいのならサーフィンを楽しむことを意味にして生きればいい」と思いました。
そのためには、まず体を整えよう、そう考えた私は早速病院に行きました。
そこで貧血に陥っていることがわかり、適切な処置を受けて、貧血の数値はみるみる改善していきました。
もちろん、貧血が改善したからといって、死別の喪失の痛みが消えることはありません。
ただ、心理的なものからきていると思っていた怠さや気力のなさはスッと消えて、旅をしようと思うくらいの元気が出てくるようになりました。
それから一年間、旅をして暮らしたことがきっかけで、今、私はカリフォルニアに暮らしているのですが、この一連の話を栄養学博士のK先生にお話したときに、「あなたの脳はとても健康なのね!」と言われて、目から鱗、でした。
いわく、レジリエンス(回復する力)は、脳の健康と深い関わりがあるのだそうです。
科学者にしてみれば当たり前のことなのでしょうが、私はそれまで、心が弱ったときは、考え方や意識といったもので対処しなければいけないとどこかで思っていた節があり、脳が健康だと心の回復力も高いというふうに結びつけて考えたことがなかったのです。
このことを教えてもらってから、私は、心が弱ったときは、考えすぎないで、脳が元気になるようなことをするようになりました。
具体的には、あったかいお風呂に入ったり、美味しいもの、栄養があるものを食べたり、ぐっすり眠ったり、大好きなアロマの香りを嗅いだり、と気分が良くなるような体のケアをするのです。
体のケアのいいところは、心のケアに比べると何をすればいいかが比較的わかりやすいところ。
温める、軽く動かす、あたりは、やってまずいことはまずありません。
そして、体をケアをすると、神経系の働きが変わるから、心の状態も確実に変わるのですね。
もちろん、それだけで心の問題が全てクリアになるとは言えませんし、問題の根本と向き合うことが最終的には必要なこともあります。
ただ、人は具体的に対処できない物事を前にするとストレスが増大するので、心が弱ってどうしていいかわからなくなったときは、体をケアするというわかりやすい物事に取り組んで脳の元気を取り戻してから対処する、という順番でやってみると、ものすごく楽にクリアできることが多いのです。
問題から逃げるわけでなくて、問題に対峙できる状態になったときに対峙すればいい、という戦法です。
若いときにこれを知っておきたかった!と常々思うので、せめて、今の若い子たちが同じことで長い時間悩むことがないように、私の体験から伝えられることはどんどん伝えていきたいなぁという老婆心からこれをしたためました。
参考にしていただけたらそんな嬉しいことはありません。