悲しみの表現には個人差がある

2012年に前夫を亡くした直後、とにかく頭が回らず、ただ悲しみに浸っていたかった私に対し、夫の父親である義父は「仏壇を作ろう」「香典返しはこうしよう」と次々とやることを提案してきました。これって、お義父さんが悲しくなかったわけではなく、グリーフの反応の仕方は個人で全然違うということなんですね。今回はグリーフにおける個人差、特に男女差について書いてみます。

いきなりですが、実を言うと、亡夫を亡くした直後の記憶はとても曖昧で、きちんと思い出すことができません。

自分のようで自分でなかった、という言葉がしっくりくるくらい、見た目には普通に生きていたけれど、内側は空っぽで、外側の自分と内側の自分が一致していないような感覚で、それゆえに自分が何をどう感じ、どういう言動をしていたのか、よく思い出せないというのが正直なところです。

ただ、もちろん、断片的な記憶はたくさん残っていて、その中でも印象深く残っていることの一つが、二世帯住宅の形で階下に住んでいたお義父さんとのやりとりです。

お義父さんはご自身にとっての息子(私の夫)を亡くす前に奥さん(私にとっての義母)を亡くされており、またご自身のご両親、兄弟と、数多くの人を見送ってこられたこともあって、夫が亡くなった後の対応は驚くほどしっかりなさっていました。

「僕はお見送りのプロみたいなもんだから」というお義父さんに甘えて、お葬式の手配からお香典返しのアイデアまで、私はお義父さんに頼ることで乗り切ることができました。

ところがお葬式が終わってひと段落した後も、お義父さんは「階下には仏壇があるけれど、あなたのところにはないから新しいのを買ったらどうか」とか、「余った薬(モルヒネ)は薬局に返せるようだから返しに行こう」とか、「遺品は早いうちに整理して人にもらってもらうものはもらってもらったほうがいい」とか、私にいろいろとやることを提案をしてきました。

私はといえば、悲しみに浸る時間もなくて気持ちの整理もついていなくて、ようやくお葬式が終わったのだから今は何にも考えたくないし、何もしたくないが本音。最初は頼もしかったお義父さんですが、「あれをしよう」「これをしよう」と言われることが増えるにつれ、そもそも嫁である私がそこに思い至らないことがダメなのかもしれないと、義父と話すことが気重になってしまいました(私と義父の関係はとてもオープンハートで良好なものだったので、義父に私を責める気はないことはわかっていましたが)。

救いになったのは、何らかのきっかけで、大事な人を亡くした悲しみの反応の仕方は人によって大いに違うということに、気がついたことです。

一般化は簡単にはしたくないのですが、とりわけ女性と男性では異なることが多いようで、女性はその悲しみについて話したり、浸ったりしたいという反応が出やすい一方で、男性はその悲しみと関係のないこと(趣味や仕事)に没頭するという反応が出る傾向が強いそうなのですね。

義父が、私に比べてちゃきちゃきと活動しているのは、単にそれがお義父さんなりのグリーフのプロセスだというだけ。お義父さんが私より元気というわけではなくて、お義父さんはお義父さんのやり方で、息子を亡くすというとんでもない悲しみに対応しているだけだって思えるようになったんです。

これは後から勉強して知ったことなのですが、お子さんを亡くされたご夫婦は、夫婦間でその悲しみへの反応が違い、互いにその理解がないためにすれ違いが起こり、離婚という選択をされるケースが少なくないのだそうです。

たとえ夫婦間でも、兄弟間でも、家族を亡くしたときの悲しみの反応はそれぞれ違う…それを知ると、喪失の悲しみ、つまりグリーフのプロセスは誰一人同じではない=誰とも分かち合えない、ということもわかるわけで、それはそれで孤独度が増す方も、もしかしたらいらっしゃるかもしれません。

でも、私の場合、元も子もないかもしれないけれど、「どうせ誰にもわからない」と思えたほうが気が楽でした。逆に言えば、お義父さんの気持ちだってどうせ私にはわからないのです。何というのかな、喪失の悲しみは、誰かにわかってもらえたら和らぐってものじゃないという前提で向き合うことができたんですね。

そう思えたところで悲しみが和らぐことはないのですが、おかげでグリーフのプロセスを複雑にせず、自然に進むことができたんじゃないかな、そう感じます。

そして、そんな孤独なグリーフの作業を、一番近くで支えてくれたのは、私の場合、グリーフ関連の本でした。

本についてはまた機会を改めて書きたいと思います。