健康だけでなく、目標達成や自己実現など、人生のあらゆる分野において「自己肯定感を持つ」ことの大切さが説かれています。筆者は長らく低い自己肯定感にさいなまされてきたクチ。「自分を大切にする」ことが大事だと頭では理解でき、いろいろ取り組んでみるもどうにも満たされない時代が長くありました。そこからどうやって抜けられたのか、体験から学んだことを共有します。
いきなり私的な話で恐縮ですが、著者はなぜだか幼い頃から生きづらさにさいなまされ、いろんなものをこじらて葛藤し、20代後半になってついにそれらが大爆発して、そこから脱するための探究を始めたという経緯があります。
その過程のわりと早い段階で、「どうやら自分を大切に扱う」ことができていないことが生きづらさの原因のようだぞ、と気づきました。
でも、今思えば、その時は「どうして自分は自分を大切にできないのか」といった原因のほうにとても目を向けていたように思います。
たとえば、母親にアダルトチルドレンの傾向があって、唯一の同性の子どもである私にはとりわけ厳しかったとか。だから、何かをすることで母親の注意を引く(褒めてもらいたくて)ということを覚えて、その積み重ねが「何かをしたときだけ褒められる」→「何かをしないと褒められない(価値がない)私」となっていき、結果、自分は自己肯定感がとても低く育ったのだと。
原因に気づいただけで癒しが始まるとその時は言われて、実際、気づけたことがその後の癒しのプロセスのスタートになったのかもしれませんが、私の場合、気づけたことがイコール、自分を大切にするということにはすぐにはつながりませんでした。
今ならどうしてかわかります。
自分を大切にしないということを20年も続けてきたから、脳のネットワークがそれを習慣にしてしまっていたからだと。
一瞬の気づきでも、ある程度の変化は起こりますが、長らく培って習慣化してしまったものは、それ相応の対応をしないと変化が遅いし、もとに戻ってしまいやすいんですね。
そのことに後に気づくのですが、これまた気づいたからといってどうすればいいかはわからなかったので、「自分を大切に扱う」ために次に私がしたのは、大枚叩いてホテルのゴージャスなエステプランを使う、とか、旅行しまくる、といったことでした。
それはその一瞬はすっきりするんですけど、でも、一抹の虚しさはずっとどこかにありました。
そのようなもろもろを経て、40歳をすぎてから、私はようやく「自分を大切に扱う」ということがわかるようになり、さらにそれから数年が経った今、ようやく言葉でも説明できるようになりました。
自分を大切に扱うということには2つの段階があります。
1)その時その時の自分の感覚(感情や体調、なんでも)に耳を傾けてあげること。
2)耳を傾けて聞こえてきたことを全肯定すること。
自分のことなんだから、1)なんて簡単じゃんって思うでしょ?
でも、なんらかの理由で自己肯定感が薄く育った場合、自分の感覚を全肯定してあげられずに生きてきた経験が長すぎて、本当の感覚に耳を傾けることができない状態になっていることがとっても多いんです。
想像するとわかると思うのですが、「私はこう感じた!」って誰かに訴えても、毎度毎度「いやいや、それ違うし。そんなこと言ってる場合じゃないし」って否定されたら、だんだん訴えなくなるじゃないですか。それと同じことが自分の中で起こっちゃってるんですね。
だから、まず最初のステップは、1)を取り戻すこと。
今、自分は何を感じているの? どうしたいの? をちゃんと自分に聞いてあげることなんです。
今日この服、本当に着たい? いつも朝はコーヒー飲むのが習慣だけど今日も本当にコーヒーがいい? 今、私、この仕事したい? 今こんなこと言われたけど私はどう感じているの?
でね、1)を聞いてあげると、常識的に都合が悪いこととか、認めたくないことが出てくることもあるんですよ。
たとえば、「今、私はこの仕事はしたくない」とか。
そうすると、「いやいや、でも納期があるし、っていうか時給で働いているし、仕事したくないからしなくていいっていう話じゃないし」とか出てきちゃうんですが、そこがステップ2)なんですね。
「仕事したくなくてもしなきゃいけないんだから、したくないとか思っちゃいけない」と思うことは、自分を肯定してあげていないことになるんです。
じゃあ、肯定するってどういうことかというと、「私は今、仕事をしたくない」ということを認めるだけ。
肯定とか、受け入れるっていうと、おおごとに聞こえますが、実際には単に認識するだけ。
認識したうえで、それをどう判断するかはまた別のことですし、どう行動するかはまたさらに別の次元の選択なんですね。
この例でいうと、仕事をしたくないという気持ちを受け入れること(受容)と、それをよくないと思うこと(判断)はまた別だし、ましてや実際に仕事をやらないこと(行動)はもっと別のこと。だから、仕事をしたくないという気持ちを受け入れたからって仕事を休まなきゃいけないということではないんです。
「あー、私は今、仕事しなくないんだ」、以上。
そのうえで、状況的に仕事をしなきゃいけないとしたら、「仕事をしたくないのにやっている私、えらい」となるかもしれないし、「いや、休めないと思っているけれど、1日くらい休んでも実は問題ないのでは?」という考えが出てくるかもしれません。
それでまた1)に戻って、次の自分の感覚に耳を澄ますんです。
いやいや、そんな面倒なこと毎回やってられないよ、と言われてしまいそうですが、慣れれば(それこそ脳のそういうネットワークができれば)ほとんど意識せずにやれるようになります。
で、これができるようになると、ほんとーーーーーーーーーーーーに人生がスムーズになります。
なんでもっと早く誰か教えてくれなかったんだ、と思うくらいです(苦笑)。
個人の体験の共有でしかありませんが、自分を愛する、セルフラブ、セルフコンパッション、自己肯定感…このあたりでつまづいているという自覚がある人にちょっとでもお役に立てることを願っています。

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