自然に生きると健康になる?

「人間は自然から遠のくほど病気に近づく」。現代医学の父と言われるヒポクラティスの有名なこの言葉について、考えてみました。

あなたのライフスタイルは自然ですか?

「人間は自然から遠のくほど病気に近づく」。

医学の父と呼ばれるヒポクラティスの有名な言葉。

私はここで言う「自然」を、山や森や海といった大自然のことと解釈してきました。

でも、最近、考え方が変わりました。

ヒポクラティスが言った「自然」は、「人間としての自然」という意味での自然なのではないか、と。

じゃあ、何が「人間としての自然」なのか。

例えば、人間は群れを作って社会を構成して進化してきたことからして、コミュニティーに属することは人間として自然と言えそうです。

そうすると、ご近所さんや家族などと親密な人間関係を持っているシニアは健康度と幸福度が高い傾向にあるといった調査結果は、合点がいきます。

運動が体にいいとされるのも、そもそも人間は狩りや農耕をして食べてきた、つまり体を動かして食べ物を得てきたため、体を動かすことが自然であったからです。

もちろん、進化することも自然でありますから、そのうちほとんど動かずにコンピューターの前にいることが自然で、その方が健康的になるという未来もありえると思います。そういう進化に抗わないことも自然なあり方と言えましょう。ただ、少なくとも今はまだ体にとっての自然は社会の進展に追いついているとは思えません。

何が言いたいかというと、体にとっていい自然というのは、オーガニック野菜を食べるというような単純なことではなくて(オーガニックに意味がないとディスっているわけじゃないですよ)、もっと広義で、かつ一つの形に収まらない変動的なものだということ。

この観点でいうと、体によかれと思って何かに固執していることはむしろ自然でないかもしれません。

自分にとっての自然を知る鍵は、感覚です

じゃあ、自分にとっての自然って何なのか。

これを知るには、体の快・不快が鍵になります。

自分にとって自然なことであれば、体は「快」のシグナルを送ってくる。逆に「不快」のシグナルがあるときは、体が自然に備える対応力を超えているので、休息を取るなど、意識的なサポートが必要ということです。

ただ、難しいのは、体の感覚と、心(頭かもしれない)が乖離してしまうことが多いことです。

友人に、辛いものが大好きで、食べると必ず下痢をするのにやっぱり食べる人がいるのですが、下痢をしている時点で体からのサインは「不快」のはず。でも、彼の心だか頭だかは辛いものを欲して、食べずにいられないんですね。

もちろん、それを良い、悪い、と他人がジャッジするのは余計なお世話。自分の人生です、好きでいい。ただ、体からのシグナルをあえて無視して食べるのか、そもそもそれがシグナルであるという認識がないまま食べ続けるのかでは何かが変わってくるはずなので、そこは意識しておきたいところ。

また、快・不快は、そのときそのときの環境(体のコンディションも含む)で変動するということも知っておかないと、「自分にはこれがいい」と、もう合わなくなってしまったものに固執してしまうこともよく起こります。

健康のために、私たちは、何を取り入れるか(あるいは、避けるべきか)といった方法論ばかりに目を向けがちですが、それ以前に、体のシグナルに敏感になること、そしてそのシグナルに応じて意識的に行動を変えていくこと、すなわち体という本人の意識の及ばないところの領域と、行動という本人が意識できる部分を連携させていくことが大切なんじゃないか。

それこそが、本来の自然なあり方なのではないか。

そんなことを考えて、取り組んでいる最近。とりあえず調子はいいので、皆さんも「なんかわかるかも」と思ったら、ぜひ試してみてください。